江戸時代の「商人」に見るリサイクル事情について

江戸時代の「商人」に見るリサイクル事情について

江戸時代の日本では、あらゆる資材を徹底的にリサイクルしていました。それはまさしく、あらゆる資材が非常に貴重だったからです。

そこで、今回は、江戸時代のリサイクル事情について、わかりやすくまとめてみました。

江戸は、もともとほとんど人の住んでいなかった武蔵野の外れに、いきなり大勢の人が入り込んでできた人工的な大都会なので、当初はごみや不用品の処理が大きな問題になりました。

そして、1600年代後半には、ごみを集めて深川から東のほうを埋め立て新田とする方針が次第に固まり、民間の事業としても成り立つようになります。

市民行政に慣れてきた町奉行の対応も進み、専門業者がごみ処理を請け負うようになった頃には、大都会に定着した住民たちも、不用品を利用する様々な技術を考えだしました。

江戸の伝統的な紙は木を伐採せずに作っていました。普通紙は楮の木の皮を原材料とし、毎年春になると芽吹いて育つ1年生の枝を初冬になってから切り取り、その皮を精製して紙にこしていました。枝はまた、来年になると生えるため、いくら紙を作っても枝が減る心配がなく、循環的で持続的です。

西洋式の製紙法では、少なくても20年ほど経った樹木を切ってパルプを作るので、紙を作るために、森林を伐採する必要があります。

江戸時代にリサイクルが栄えたのは、リサイクルが商業として盛んに成り立っていたから

江戸のリサイクルは、ボランティアではなく、立派な産業の一部になっていた。大勢の専門の承認や職人がリサイクル業で利益を上げながら、生計を立ててました。
江戸時代のリサイクルに大きく貢献したのが、職商人、修理・再生専門業者、回収業者たちです。

職商人
今なら捨てるほかないような品物を修理する。必要に応じて新品の販売や古物の下取りも行っていました。職人であると同時に商人でもありました。

修理・再生専門業者
壊れてしまって使えないものを使えるようにする専門の職人です。

回収業者
不用品や、伊奈なら捨てるほかないものを買い集める商人で、買ったものは、問屋などに売るだけでなく、自家消費のために買う業者もいました。道端に落ちているものを拾い集めるだけで生計を立てるのも回収業者に当たります。

彼らは積極的に町中を巡回し、個人客や商店などから呼び止められるのを待つか、自分から常連やお得先を訪問するなどして、商売を行っていました。

江戸時代のリサイクルはとても細やかだった

次は江戸時代のリサイクルに関する商業の内容をより細かく見ていきましょう。

印肉(朱肉)の詰め替え

印肉(朱肉)は使っているうちに固くなってつきが悪くなります。これを新品に詰め替える業者が江戸には存在しました。

取り換えた古い印肉(朱肉)は、新しいのと混ぜて、練り直して使っていたようです。使い古したのを一定の割合で加えた方が、使い勝手が良かったというのです。

紙屑買い

不要になった帳簿などの紙製品を適当な価格で買い取り、古紙問屋に売る商品です。古紙、紙屑を仕分けて、すき返す業者に卸したりもします。

昔の紙は、厚さが現代の紙の5倍以上の長い繊維でできていて、しかも、添加物がなかったので、すき返すのが容易でした。

そのため、各種の古紙を集めてブレンド、ちり紙から下級の印刷用紙まで、様々な再生紙にすきかすことができたのです。

傘の古骨買い

江戸時代は、紙と竹でできた傘で、不要になった古傘は、古傘買いが広い、問屋へ売っていた。

問屋は買い集めた古傘の油紙をはがして洗い、糸を繕ってから傘貼りの下請けに出します。

はがした油紙は、傷みの激しい部分は焚き付けに使い、広い面積が使える部分は丁寧に剥がして特殊な包装用に売っていました。

ごみ取り

ごみ取りは、生ごみを集める業者で、肥料としての価値に目を付ける農家が増えるにつれて、リサイクル業に進化したと言われます。江戸の生ごみは、ただ捨てるのではなく、主に下総方面から薪などを積んでくる運搬船が、戻り船に積んでいってたい肥にする場合が多かったそうです。

最後に

江戸時代はがらくたでも立派に商品価値があったから、最大の焦点は、がらくたをどう効率よく集めて活用するかちおう点にありました。

処理といっても、捨てるなんて、江戸のプライドを捨てるようなものだったんです。「えっ、それ使おうとしないの?ダメじゃん!」みたいな感じです。

がらくたを上手く使うことこそ、江戸の腕の見せ所だったんです。

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