死に至る無関心「セルフネグレクト」とは?セルフネグレクトを防ぐ方法

衝撃的なニュースに耳を疑いました。
千葉県北西部で昨年5月、一軒家のごみがたまった一室から、足が壊死(えし)した状態の高齢女性が救出されていたことが分かった。女性は2階の部屋でレジ袋やペットボトル、ヨーグルトのカップ、おにぎりを包んでいたアルミホイルなど大量のごみに埋もれ、あおむけに顔だけを出していた。警察官が声を掛けると「大丈夫です」と返事をしたものの、自ら動けない。救助工作車とレスキュー隊が出動し、病院に救急搬送。女性の両足の先端部は真っ黒な状態で壊死していた。
毎日新聞より抜粋
これは典型的なセルフネグレクトです。
ネグレクトと言うと、以前は子育てでよく使われていました。子育てにおけるネグレクトとは、保護者がその子どもに「適切な養育」を行わないことです。これは育児放棄とも呼ばれています。
一方、セルフネグレクトとは、自身に関して放棄すること。まさしく、「自己放任」であり、自分の意思で、食事や、衛生管理を行わず、身なりなどにも無頓着になり、他者に対して援助も求めようとしない状態のこと。
自分を見殺しにしている状態で、まさしく、例に挙げたニュースの例の壊死がそうですよね。
動的自暴自棄から静的自暴自棄へ
セルフネグレクトは、「自暴自棄」のような言葉に置き換えることもできますよね。ただし、これまでの自暴自棄とセルフネグレクトとは性質が異なるように思います。
例えば、自暴自棄になった際にやる行為とは、どんなものが考えられますか?
・やけ食い
・やけ食い
・やけ酒
・衝動買い
上記のようなものが一般的じゃないでしょうか。これって動的(アクティブ)ですよね。ちゃんと行動を取っています。しかも、逃避(一時退避)として、いつもとは違うバランスの行動を起こすことによって、いつもの状態へ精神安定的に戻るきっかけを作っているんです。
一方、セルフネグレクトはとことん自分の行動をゼロにしていくことです。無関心・無気力・無感動の極みで、それが積み重なって、「トイレに行く」というごく当たり前の行動がとても難しくなっているのです。
心にも通用する慣性の法則
慣性の法則とは、物体がその運動をしている時は、力が加わって(加えて)も、その運動をし続けたいと思い、物体が静止している時は、力がが加わって(加えて)も、静止状態を続けようというすることです。
この完成の法則の「物体」というワードは、「心」に置き換えてもまさしく同じことが言えます。
私たちは絶えず多くの刺激を心に加えて、関心・気力・感動の芽を咲かせようとしますが、今の心境に力が加わることはとても負担が大きいのです。だから、「考えない、気を起こさない」ことが非常に楽なんです。でも、無思考・無気力の運動が続くと、思考と気力を発揮することがますます負担になります。なので、小さな考えや小さな行動も煩わしくなるのです。
変化を強いられば強いられるほど、心の負担は大きくなる
世の中のテクノロジーが進みにつれて、確かに便利な時代にはなりました。
それは、1つの状況を見ると、確かにそうです。通信という環境を見てもそうでしょう。交通という環境を見てもそうですよね。
ただし、あらゆる環境が複合的に絡み合った高次的な「生きる」という環境が便利になったかというと、そこに対してはかなりの疑問符を抱かざるを得ません。
では、テクノロジーが進む環境で、「生きる」という環境にどんなインパクトが加わったのでしょうか?
不変性がなくなり、煩雑で多様な変化に対応していく生きる必要が出てきた
1つの1つの環境で出来ることがハイレベルになった。多様な物事が溢れ、多様な価値観で生きることができるようになった。でも、普通に生きるためには、不変的なものが少なくなり、世の中のあらゆる流通は煩雑で、しかも、変化がスピーディーで、先が読めない。
言ってみれば、時代を普通に生きるのが難しいんです。アガリがないというんでしょうか…
お年寄りの方で、これからゆっくりと老後を楽しみたいと思っても、時代のシステムがガンガン変わっていって、移り変わったシステムを使いこなせいと老後を楽しむどころか、時代にすらついていけずに、想定もしなかった被害に遭う。
だから生きることへの思考が煩わしくなってしまうんです。
心理学における「決定回避の法則」
人間は、目の前に与えられた選択が余りにも多いと、逆に選べなくなってしまいます。これは決定回避の法則と呼ばれています。そして、人は選択肢が広がり過ぎるとかえって普段と同じものを選んでしまいます。これは現状維持の法則と呼ばれています。
時代が進むにつれて「人生の選択」がどんどん多様化していって、決定回避をしたくなるような環境にあるということなんです。
だから、セルフネグレクトは誰にでも起こってしまうのです。
セルフネグレクトの解決方法
セルフネグレクトの解決方法は、言うまでもなく「自分に余裕を作ること」です。「それが難しんですよ!」という反論は分かります。でも、すべてのネグレクトの要因は、自分の心に余白がないことなんです。自分の心に余白を作って、多少心に負担の掛かる行動でも、受け入れて、行動するんです。
・自分に余裕があれば、自分が好きになれる
・自分が余裕があれば、相手を見れるようになる
・自分に余裕があれば、他の要素に目が行くようになる
・自分に余裕があれば、別の楽しみを見つけられるようになる
・自分に余裕があれば、まずは受け入れようとする
要は、余裕があれば、人生に寛容的になるんです。この「寛容」と「ネグレクト」は意外と近しい性質もあるんです。許せるということは、執着しなくなることですから。
自己否定の根本になっているものを潰して、自己肯定感を積み上げていくことを、少しずつしていくことで、ネグレクト体質から寛容体質へ変わっていきます。
既にセルフネグレクトの沼に足を突っ込んでしまっているのであれば、周囲の人たちが別の空間へ連れて行き、本人の本音と価値観を引き出し、自己肯定できるような自己達成をサポートしていく必要があります。
最後に
以上、セルフネグレクトについて述べてきました。時代の変化がますます激しくなっていく中で、誰しもがなってしまう可能性があります。自分が元気な時は、周りの人間へ積極的にサポートして「持ちつ持たれつ」の関係を作っておくことも大事かもしれません。
ぜひ、今回の記事も参考にしてみて下さい。
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